・ピンチの時でもブレない人って信頼できますよね。
日々の生活の中で本当にたくさんの判断を繰り返しているものです。
いろいろな説はあるのですが、人間が一日のうちに判断(意思決定)している回数は9000回とも35000回とも言われています。
(えらい差がありますが。。。)
小さな意思決定や判断は置いておいて、大事な局面での判断というのは迷ったり緊張したりしますよね。
特に仕事上の判断が必要な時は、間違えば利益を損なう恐れもあったりして、カンタンに決断できない場面も多くあります。
仕事に限らず、ある程度大きな選択を迫られた時に大切なのは「客観的な判断基準」です。
偏見や思い込みに左右されず、公平な判断を下すことが大事です。
しかも、それをいつも同じように客観的に行っていけるかどうか。
これが当たり前ののようでなかなかできないものなのです。
特にピンチの時。
例えば大きなミスをしてしまったとき、またはその恐れのある時などはこの客観的な判断が出来なくなりがちです。
・人は自分の事には判断基準が甘くなる
他人の事や自分に影響の及ばない事柄についてなら、客観的に公平な正しい判断が出来る人でも、こと自分自身のことや自分に影響が及ぶようなことについては、その判断基準が甘くなります。
当事者になった途端に自分に有利な基準で判断をしてしまう。
これは無意識のうちにやってしまっている場合が多いので厄介です。
・自分にとって都合の良い情報ばかりに触れていないか?
特に自分がピンチの時は、自分にとって都合の良い「安心できる」情報ばかりに触れてしまいがちです。
ミスをして損失が出るのが明らかななのに、「まだ挽回できる可能性はある」などと思い込み、少ない可能性であっても挽回できる材料を探し回ったりします。
もちろん、すべてを早々にあきらめてしまうのも良くないですが、自分を安心させるような情報にすがって事態をさらに悪化させることは絶対に避けたいです。
ピンチの時や自分に不利益な状況の時ほど、自分は偏った「甘い」判断基準になっていないかチェックが必要です。
・新型コロナウィルスが流行した時の事例
2020年(執筆時)に世界的に感染者を出している新型コロナウィルス。
その際に「判断基準の甘さ」について、分かりやすい事例が身近であったので紹介します。
私の仕事仲間の人の話です。
その彼は、普段は感染して重篤な状況にならないようにめちゃめちゃ神経質になっているタイプの人でした。
ウィルスとか病気とかには無頓着な僕とは正反対です。
普段からマスクをして、うがいも頻繁にして、手指のアルコール消毒は欠かさず、ウィルス系のニュースはマメにチェックして誰よりも情報通になっていました。
僕がマスクもせず平気で仕事をしていると
「マスクしないとヤバいですよ。すごい勢いで感染しているんですから」
と非難めいた言葉を浴びせてきます。
なんでも、感染して亡くなられる方の数もどんどん増えてかなり危険だというのです。
事あるごとに目に見えないウィルスの怖さを伝えてくれます。
そんな、彼が仕事で遠方へ出張して、かなり感染が拡大している地方へ行って帰ってきました。
周りのみんなは「大丈夫?感染したんじゃないのか?」と半ば心配、半ば神経質な彼がどういう答えをするのか興味深々といった具合で見ています。
すると、彼の口から意外な答えが出てきました。
「まぁ、感染しても致死率は1.2%ぐらいでインフルエンザより少ないし、僕ぐらいの若さなら重篤になることもないと思う」
先日までの口ぶりとは真逆(?)です。
その後、彼と話をしていると、感染拡大の地方へ行かなければならないと決まってからは「新型ウィルスはさほど怖がらなくてもいい」「大げさに騒ぎすぎ。医学的に冷静に対処」などという情報を探し当てていたようです。
つまり、自分が感染拡大地域に行く「当事者」になった途端に自分にとって「都合の良い情報」を偏ってあつめて判断基準としていたのです。
・情報の集め方に偏りがないか?
冷静に客観的事実に基づいて判断するためには、その元となる情報の集め方をバランスよくすることが有効です。
自分が思っていた通りの情報に当たると、そこで「やっぱりな!」とは思わず、真逆な主張をしている情報も探すべきです。
そうして天秤にかけて、冷静に自分の考えを乗せていけばいつもブレない判断基準で判断することができます。
ようは、偏った考え方がいけないのではなく、知らず知らずに自分の都合のよい判断基準を作り上げることが危険なのです。
・判断基準は、人の器の大きさ
客観的な判断基準を持っている人は、結局「器がでかい」人なのだといえます。
自分に有利不利に関わらず、絶えず同じ基準で物事を判断する。
それが周囲の信頼を呼ぶことになります。
ピンチの時は、自分に都合の良い情報にだけ触れていないか常にチェックするようなクセをつけるべきですね!
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