プロフィール

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自己破産してホームレスになった僕が18億2400万円売上げる営業マンになれた理由

井ノ口将久(いのぐちまさひさ)です。

僕は現在、不動産業を行いながら、行政書士事務所を経営してます。

タイトルにあるように、僕は元・自己破産者です。一時的にではあるにせよ、ホームレス状態になった経験もあります。

40代ですべてを失うという、「人生オワコン」中年でした。

そんな僕が、営業マンになって、復活し、在籍7年間で合計18億2400万円を売り上げるまでになりました。

ジェットコースターのような人生とは、僕のことだと思ってます。

今はお世話になった会社を退職して、人生2度目の起業を果たしました。

こんな悩みを抱えている人に、このブログを読んでもらいたい

このブログを読んでもらいたいなぁ、と思っているひとをリストにしてみました。

  • ライバルをごぼう抜きにして成績を上げたい営業マン
  • 独立起業したいサラリーマン
  • 働きながら資格を取りたいビジネスマン
  • 借金で破産するかどうか悩んでいる人
  • 集客方法を知りたい中小企業経営者
  • 40歳を超えてリストラに会い、仕方なく転職をする人
  • 部下のマネジメントに悩む中間管理職の人
  • 自己破産して財産を失いホームレスから起死回生を狙っている人

こうやってリスト化してみると、なんともバラバラですね。

優秀なマーケターなら

「アホかっ。ターゲットが絞れてない。これでは誰に読んでほしいのか分からんわ」

と、胸倉をつかまれてデコピンかまされそうです。

ただ、上記のリストに書いてあること、全部かつての僕自身のことなんです。

井ノ口将久の経歴(職歴)について

ざっくり僕の経歴(職歴)を書きますね。

  • 27歳の時に起業して飲食店オーナーになる
  • ダイレクトレスポンスマーケティングを学び、実践
  • 店舗売上を8ヶ月で40%V字回復させて、日経レストラン(業界雑誌)の巻頭カラーで特集取材
  • 地元テレビ局から取材撮影
  • 30代で法人化。オーナー社長
  • 多店舗化。その後「天狗になる」バカ社長時代
  • 42歳の時に会社を倒産させる
  • 同じく42歳の時に自己破産申告
  • 自宅、車、有価証券、現金全部失ってホームレス
  • 市営アパートに入居させてもらい就職活動
  • 契約社員としてハウスメーカーの営業マンに採用(もちろん未経験業種)
  • 入社後2か月で初契約。正社員登用
  • 入社3年目に年収1000万円突破
  • 激務の中、独学で「行政書士」「宅建士」「FP2級」の資格を取得
  • 入社4年半でモデルハウス店長職
  • 在籍7年間での売上累計「18億2400万円」
  • 49歳で突然の退職
  • 50歳にして2度目の起業。
  • 現在は不動産業をしつつ、行政書士事務所を経営。たまに営業やマーケティングの先生もする。

こうやってみると、僕の経歴ってどうですか?

人からは「波乱万丈にもほどがある」「3流のドラマでもなかなかない展開」「ポンコツなのか優秀なのかよく分からん」というようなありがたい評価を頂いてます。

すべてを失ってから学んだ「ビジネスで成功するために重要な3つのこと」

ただ、言えることは、失敗もたくさんしたおかげで、今ではビジネス的にも成功出来て幸せな生活を送れているということです。

もちろん、失敗はしない方がいいです。

でも失敗しないと分からなかったことが、あることも事実。

会社を倒産させて、自己破産して、すべてを失った時に拾ってもらった会社で、僕はビジネスで成功するために重要な3つのことを学びました。

その① 集中して負荷をかける時期は必要

人生のうちで、どこかで思いっきり負荷をかけて追い込まないと人間は成長しないということです。

僕はそれまでの人生で思いっきり負荷をかけて仕事に取り組んだことはありませんでした。

42歳で転職(就職)した先の先輩に鍛えられて徹底的に営業の仕事を叩き込まれました。

たくさん失敗もしたし、悔しい思いもしたし、落ち込んだりもしたけれど、自分でもよく頑張ったと思っています。

そのおかげで、仕事に対しての「軸」と「芯」が出来たように思います。

そして、一度「軸」と「芯」が出来ればどんな状況でも、どんな仕事をしてもブレずに行うことが出来るということを知りました。

その② 差がつくのは「ちょっとしたことを圧倒的に」すること

人と差がつくのは大きなことや特殊なことではないということです。

本当にちょっとしたことを圧倒的にすることで差が生まれるということを学びました。

僕が今でも徹底してることは

  • メールの返信はその場で
  • 折り返しの電話も気づいたらすぐする
  • どんな細かいこともメモして忘れない
  • 報告はこまめに入れる

この4つぐらいです。

どうですか?

こうやって書くと「はぁ?なんだよ、こんなことかよ?」

と思われたかもしれません。

でも。

これを誰よりも早く、誰よりもマメに、徹底して行ってます。

これだけで、相手から信頼されます。

つまり、これが出来てないビジネスマンがほとんどだということです。

サラリーマンでも、経営者でも成功は難しくありません。

ただ、ちょっとしたことを疎か(おろそか)にしてるだけなのです。

だから、僕の成功法則など、取るに足らないことばかりかもしれません。

その分、誰にでも出来て、すぐに成果が出ることが多いと思います。

その③ やり続けることがスキルアップの唯一の方法

これは、もう、これなんです(笑)

スキルアップしようと思ったらやり続ける以外に方法なんてないです。

めっちゃ天才ならいざしらず、世の中の99.99999999999%の凡人は

「継続」

しかスキルアップの方法はありません。

その②のちょっとしたことを圧倒的にやるということだって、ずっとやり続けて身につけないといつかボロが出ます。

営業トークも、何も考えなくても自然にクロージングトークが口から出てくるぐらいになるまで反復練習を続けないと身に付きません。

この、「継続」も別に難しいことではないのですが、困難なことです。

シンプルに継続できる人がビジネスで成功できる人なのです。

情報も取り続けた人が「情報通」になっていくし、文章も書き続けた人が「文章上手」になっていくし、資格勉強も勉強をしつこくやり続けた人が「合格」していくのです。

このブログには、上記のようなシンプルな成功法則が根底に流れています。

そして、僕が実践で失敗したり、成功したり、悔しい思いをしたり、達成感を味わったり、苦労したり、悩んだり、実感したりしたことを元に、書いています。

なので、冒頭にリストアップした「このブログを読んでほしい人」に少しでも役立つような情報、ヒントになる情報を書いていくつもりです。

脱線もままありますが、そこは寛容な心で見てほしいです。

こんな失敗だらけのポンコツか優秀か分からんヤツの話なので参考になるか分かりませんが、ひょっとしたら何かのヒント、やる気アップのきっかけにはなるかもしれません。

以下の文章は僕、井ノ口将久が今まで歩んできたストーリーです。

良かったら読んでみてください。


僕、井ノ口将久が会社社長から自己破産を経て累計売上18億2400万円を達成するまで

働きまくった経営者時代

僕は27歳の時に起業して自営業者となり、その後法人化して会社の社長となりました。

業種は飲食業です。

両親も飲食業を営んでいたため、自分にとっては会社勤めよりも馴染みがある仕事だと感じていました。

複数店舗経営してましたので、多い時には年商で7000万円ぐらいありました。

同じ飲食業をしている親に負けたくないという思いもありました。

とにかく新しい手法を試していこうと思い、ダイレクトレスポンスマーケティング(DRM)を学び、実践して売り上げを上げる努力をしていました。

当時は自分でも現場に出て、接客もしましたし、厨房にも入って調理もしていました。

料理人を雇っていましたが、料理人にナメられないように調理師免許も取得して料理の腕も磨きました。

起業してからは年収も1500万円を越えてかなり高収入ではあったかと思いますが、なにせ忙しくて時間がありませんでした。

朝から現場に出て仕込み→昼の部の営業→午後は業者さんとの打ち合わせや広告会社さんとの打ち合わせ→夜の部の営業→店を閉めてから帳簿付け+マーケティング作業

1日16時間は働いてました。

さらに休みはほとんどなく、年間330日は仕事していたと思います。

天狗になって遊びを覚えた堕落時代

7年~8年ぐらい、必死に仕事をして、稼ぎました。

家族との時間は取れなかったけど、仕事は順調で2店舗目もオープンすることが出来て、徐々に現場仕事から経営者としての仕事が増えるようになってきたのもこのころからです。

個人事業から法人化して株式会社となり、僕は「代表取締役社長」、いわゆるオーナー社長となったのです。

地元の若手経営者ともパイプが出来て、周囲も「社長!」と持ち上げてくれるようになりました。

そうなると、出てくるのが、慢心というヤツです。

自分だけはそうならないぞ、と思っていたのに、出てきてしまうのですね。

当時の自分を考えると、本当におごり高ぶった嫌な人間でした。

現場に立たず、人を使って仕事を回すようになってからは、仕事と称しては週に何度もゴルフに行き、夜も付き合いと称しては飲み歩く、まさに「絵にかいたような成り上がりのダメ社長」になっていました。

仕事はスタッフに任せっきり。

店に顔すら出さない日も増えていきました。

ジリジリさがる売り上げ。スタッフの一斉離反。そして倒産。

当然、売り上げは下降の一途。

最初は、それでも何とかなると高をくくっていました。

一時的に売り上げが落ちただけ。すぐにまた戻るさ。。。

お客様はよく分かっています。

僕がいないことでお店の中が荒れ始めたこと。

味は落ちるし、接客は悪くなるし、店主(僕)に会いに来たのにいつも留守だし。

売上が落ちない理由がありません。

スタッフの給料や仕入れの支払いも借金しないと出来なくなってようやく「ハッ」と気づいたのです。

そこで慌てて現場に舞い戻って仕事をしましたが、時すでに遅し。

もう立て直せないぐらいにお客様の信用を失っていました。

信用を取り戻すには失った時間の何倍もの時間がかかります。

その時間を耐えるだけの体力が僕の会社のには残ってなかったのです。

そんな中、トドメを刺されます。

かねてから僕に不満がたまっていたスタッフが一斉に離反して辞めてしまったのです。

これで、ゲームオーバーです。

店はオープンできることが出来ず、

借金しては返済に充て…を繰り返していた自転車操業もあっという間に資金ショート、キャッシュアウトとなりました。

僕が42歳の時。

会社はあっさりと倒産しました。

返せない借金、自己破産、ホームレスに。

会社は倒産。負債まみれ。

個人でもお金を借りて会社につぎ込んでいましたので、個人も借金まみれです。

その時の僕は、当面のお金もなく、最後にサラ金の無人機に行って5万円だけ借りようと思いました。

なんと、その借入が審査落ちで借りることが出来なかったのです。

サラ金にまで信用されなくなって、すごく悲しかったのを覚えています。

何度も返済遅延を繰り返していた返済がいよいよ、滞ってしまい、僕は弁護士に相談に行き、自己破産をすることにしました。

住宅ローンを早期完済していた家も失い、車も失い、ゴルフ会員権なども失い、現金もなく、ホームレスになってしまったのです。

住宅営業という仕事との出会い

ホームレス状態だったため、家族5人が実家の8畳間と倉庫を間借りして、暮らしていました。

親は口もきいてくれません。

非常に居心地が悪かったです。

3か月後に何とか築40年ほど(?)の市営アパートに入居することができました。

就職活動を必死でやっていたのですが、40歳過ぎの元経営者など、どこも雇ってくれません。

資格も経験も若さも何も無いのですから当然です。

飲食業からはいくつか声がかかりましたが、自分で経営してた人間がいまさら同じ業界で雇われスタッフは出来ないと考え、お断りをしてました。

たまたま消費増税が数か月後に控えていたため、住宅業界は駆け込み需要を見込んで求人を盛んに行っていました。

それでも面接までしてくれない会社が多かったのですが、運よく「契約社員でよければ」という条件付きで採用してくれるハウスメーカーがありました。

半年契約の契約社員。

もし、その半年の間に1棟でも契約を取れれば正社員登用もあり、というオプションもありました。

僕は選べる立場ではないので、そこに就職することに決めたのです。

スパルタ式営業で鍛え上げられる日々

入社したハウスメーカーは、現在は改善されてクリーンな労働環境に変わりましたが、僕が入社した時はバリバリ体育会系のブラック体質でした。

さすがに暴力は振るわれませんでしたが、精神的なタフさは必要な環境です(かなり言葉を選んでます…)

とにかく、僕のような契約社員が多数入社しては半年持たずに辞めていくような厳しい職場です。

僕はよくわからずに入社しましたが、住宅営業ってものすごく覚えることが多い仕事なんです。

不動産の知識、建築の知識、法律的な問題、税金のこと、金融のこと、住宅ローンのこと、営業スキルのこと。

高額商品を扱う営業なので、幅広いスキルが必須です。

ここで、すごく鍛え上げられました。

文字通り朝から夜中まで仕事しましたし、休みもほぼ取った記憶がありません。

毎日当時の店長からキツイ叱責を受けて、モデルハウスの他のメンバーが、井ノ口はもう明日は出社しないだろうと何度も確信したそうです。

でも翌朝にはケロリとした感じで僕が出社してくるので皆は半ば呆れてたそうです。

僕は未経験なので叱られも当然かな、ぐらいに思ってたのですが、周囲から見ると相当激しく指導してもらってたようです。

その店長とは別に、僕の教育係というようなポジションの先輩がいて、その人に営業というものをイチから叩き込まれました。

その先輩には営業の事だけでなく、人としての生き方なども学ばせてもらいました。

そのおかげで、僕は営業スキルも人としての考え方も、身に付いたと思ってます。

感謝しかありません。

頑張った分だけ成果に

人よりたくさん行動して、人よりたくさん失敗しました。

でも、そうすることによって、周りの先輩方も応援してくれるようになったし、少しづつですが成果も出始めました。

入社2か月目で初契約。

契約社員から正社員登用してもらえました。

その後も紆余曲折ありましたが、何とか頑張りぬき、

3年目で年収1000万円越え

4年半でモデルルームの店長職昇進。

異例のスピード昇進だったそうです。

また、その激務の中で、

  • 宅地建物取引士
  • FP2級
  • 行政書士

という国家資格を独学で取得しました。

これも、営業で鍛えてもらってたので達成したことだと思っています。

ハウスメーカー在籍7年間のトータル売上は18億2400万円となり、僕を拾ってくれた会社へ少しは恩返しができたかな?と思っています。

そして、今は会社を退職して2度目の起業を果たしました。

今までの経験を活かして、楽しいビジネスライフを満喫しようと思ってます。

挫折しそうになりながらでも、向上心を忘れないビジネスマンへ

このブログは、挫折しそうになりながらも向上心を忘れない、そんなビジネスマンに読んでほしいです。

そんな人に少しでも役立ち、ヒントになるようなブログであればいいなと思ってます。

井ノ口将久

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