いつも誰かを説得はしようとしてませんか?
本屋のビジネスコーナーなどを見ると「説得」に関する本がかなり売られているのに気づきます。
多くは「〇〇説得術」的な説得の技術の本が多いですね。
説得とは何か?
精選版日本国語大辞典
精選版 日本国語大辞典によると、
「よく話して得心させること。納得するように説きさとすこと」
とあります。
つまりは、話をして、相手を説き伏せるという感じですね。
自分と違う意見の相手を納得させる行為とでも言えますね。
でもこれ、極論を言うと僕は全く意味がない行為だと思っています。
説得などやめなさい
結論から言うと「説得は無駄」試みても無意味。
そう思います。
理由は、
人は他人から何かを言われて考え方を変えたくない生き物だからです。
よっぽど尊敬しているメンターとか、憧れてる人とか、好きな人とか、かけがえのない家族からとか、だったら説得される事もあるけれど、赤の他人から説き伏せられたくなどないと思うものです。
なので、説得術などいくら身につけても全くの無駄。
その場は納得したような素振りを見せても心の底では納得などしていないと考えた方が良いです。
でも、説得しなくちゃならない時だってあるんだよ…
そうは言っても、説得を試みなくてはいけない場面はあります。
人は人、どうせ考えは変わらない…と言ってばかりではコミュニケーションそのものが成立しなかったりしますものね。
説得術というものは無駄で無意味と言いました。
ただ、説得する方法が無いわけではありません。
説得する方法。
それは、相手に相手自身を説得させる、というのが唯一の方法ではないかと思います。
人は他人から言われたことは受け入れがたいけど、自分が言ったことはそれはもう素直に受け入れてくれます。
自分の口から出た言葉を自分の耳で聞き、あるいは自分の脳内で思ったことを自分の心で聞くことなどによって、いとも簡単に説得されてしまいます。
つまり、説得とは、自分自身を納得させることなのです。
もし説得術というテクニックが存在するとしたら、それは相手に相手自身を納得させるように「言わせる」技術です。
どうやって相手を説き伏せるかを考えるより、どうやって相手に「そのこと」を気づいてもらうか?これに注力するべきです。
例えば、野球に興味が無い友達にいくら野球の面白さを説いてもなかなか好きにはなってくれません。
ところが、何かの拍子に「野球って案外面白いかも…」と自分自身で呟いたら、もう説得完了。野球に興味を持つことに変わっています。
(まとめ)
説得は無駄。
いくら他人が説き伏せても相手のこころは動きません。
説得できるのは自分自身の言葉。
いかに相手にその言葉を言わせるのかが大切です。
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